観相家 水野南北を紹介します。
両親を早くなくし、盗み、飲み、ばくち、盗み
喧嘩に明け暮れ、酒代欲しさに盗みを働き
入牢します。
その牢屋の中で、罪を犯すものには共通の
相があることに気づきます。
人相に興味を持った南北でしたが、娑婆に出た
ある日、易者に、「お前は剣難の相がある
あと1年で死ぬ」と言われびびります。
それをまぬがれるために出家しようと寺にいきますが
南北の悪相に住職は
南北はその通り実行し、易者に再会すると
と教えられました。
その後、観相家になるも百発百中とはいきません。
南北は50日間の断食をして天啓を得ます。
死体を切り開いて、運の悪い人は内臓とくに胃や腸の中の色やツヤ、
残存物が悪いことを発見したのです。
このことから彼は「運は食なり」という結論にたどりついたのです。
食べるものが偏っている人は運も悪いというのです。 さらに食事の量を見ると、その人の性格や運がわかるとさえいっています。
食事量の少ない人は、たとえ人相が悪く見えても福相で長命型が多い。
人間の欲望の中でいちばん強いものは「食べる」
という欲望です。
その「食べる」欲望をどのようにコントロールするかが、
大切だということを説明されていたようです。 美味大食を戒め「慎食延命法」を説くに至る。
以後、観相にあたっては
必ず詳細に その人の食生活を聞いて 占断を下し
外れることが なかったという。 また凶相の者でも 食生活を改善することにより
運を変えることが 出来るとし
『南北相法極意』を執筆、
後『相法修身録』と改題し 刊行され 広く世に知られた。 結論として
水野南北の教えの要点は、
いかなる良相・吉運・健康な人であっても
常に美食をし、十二分に食事をしたならば
悪相となり 凶運短命となる。 如何なる悪相・凶運・病弱の人でも
口にする物を節し 食事を腹八分目にする人は
良運となり 健康長命となる、という事です。
人間の生命の根本は食である。たとえどのような良薬をもちいても、
食べなければ生命をたもつことはできない。だから人にとって本当の良薬は食である。 ★食事量の多少によって、人間の貧富や寿命や未来の運命を予知することができる。
古人の言葉に「天に禄なき人は生じず、地に根なき草は生えず」ということばがあるが、
その身ほどによって天より与えられた一定の食事量がある。 みだりにむさぼり食う者は、天の戒律を破る者である。
生命の存在するところに必ず食べ物があり、逆にいえば食べ物あるところに必ず生命が発生する。
食べ物は生命の源であり、生命は食べ物に随うものである。そして人間の生涯の吉凶は、
ことごとく食によって決まるといっても過言ではない。 ★三度の食事が粗食で少量の者は、悪相・貧相であっても金持ちになり、子孫に財産や名誉をのこすであろう。
いつもは粗食だが時々大食するものは大凶である。 ★いつも身のほどに不相応の美食をしている者は、たとえ人相は吉であっても運勢は凶である。
その美食癖をあらためなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。
まして貧乏人の美食家は「働けど働けどわが暮し楽にならず」で、一生苦労する。 ★大いに成功・発展の相があっても、怠け者でずるく、
酒肉をたのしみ、自分の本業に精を出さない者には成功・発展はない。 ★子供の相が貧相で悪くても、その親が食に慎しみをもつならば、みだりに貧相悪相というべきではない。
子供は、その親のなすところによって悪相から善相に一変することがある。
子に対して親は本であるから、その本が正しければ子もおのずから正しくなる道理である。
もっとも、過去世の因縁を解いてやるのは親の務めであり、親が解けないほどの因縁の場合は、子が成長して自ら解くほかない。
悪因を解き善因を積むには、陰徳を積むほかはない。 世に慈善事業や放生をして陰徳を積んだつもりになっている者があるが、
これらはみな人に知られる行為であり、真の「陰徳」とはいえない。 ★仏法は精神を治めることを本とするゆえに食を慎むのである。
なぜなら万事心が乱れることは、みな飲食を本として起るからである。飲食を慎むときは心静かになり不動心を得る。
不動心を得れば、その道(仏道)を得ることはたやすい。 ★千日千夜祈ってもあなたに実がなければ神明はどこにもおられない。
また実を持って祈ろうとのぞむなら自分の命を神に献じ奉ることだ。
食は自分の命を養うもとである、これを献じ奉るということはすなわち自分の命を献ずるのと同じである。
ヨガの教義
「腹八分目で医者いらず。腹六分目で老いを忘れる。腹四分目で神に近づく」
ツネ
南北殿の事を知り粗食を実践し運命を変える努力を凡夫はしたがるが、何十年、一生、出来る者は稀なり、人間の五欲の一つ食欲を変える事はカルマを変える事なり、やめろ、ヤメロ、こんな命がけの修行、俗世のクダラヌ柵に追われる凡夫には、到底無理な事、それでも、やりたい奴ハ、ナイフ片手に、出来なかったら、心臓,一突きして死ね。
返信削除唐子坊霊仙さま
削除人を見下してご満悦のご様子ですが、
残念ながら、唐子坊霊仙さまのコメントは、
自らを貶めている発言にしかきこえません。
唐子坊霊仙さまは、食欲の強さに翻弄され
うまいもんを求め奔走し
食を慎むことが難しかったかもしれませんが
娑婆の不条理に悶絶し、難病・奇病にくるしんだ
ものにとっては
断食・少食は一筋の希望なのです。
まさに蜘蛛の糸といっていいでしょう。
はっきり断言しよう。
肉など2週間断てば必要ないものだと
凡夫も気づく。
「到底無理な事、それでも、やりたい奴ハ、ナイフ片手に、出来なかったら、心臓,一突きして死ね。」
強欲にとらわれた凡夫が目に見えるようですね。(笑)
またコメントください。
スタッフは消さないように!
オイ、オイ、俺は、ビーガン敵に回した覚えは無いぞ。ある意味、俺も過激派ビーガンだが。生玄米、生菜食、日本名山の地下の伏流水、湧水を4~5年も食らって居れば、どんな難病でも9割方治る事などビーガンなら,誰でも知っている事だ。ナイフ片手に死ねとは,葉っぱ食ってるビーガンに言ったのでは無い。南北のような超人を志してる奴にだ。人の運命、命をも変える事の出来る指導者に成りたいのなら、命懸の修行を、出来なかったら、命など要らぬ!位の覚悟はして貰わないと、土台無理な事だ。南北が神仏に自分の命を献じれば、大望は10年で叶うと、宣うた。我、欣喜雀躍、天啓と想い、1日1食、生玄米粉1合、生菜食、水、3日に1度の断食水行でじ10年祈れば大望叶う想い修行に入ったが、そこが凡夫の悲しさ、食欲の誘惑、断ちがたく何度挫折し悔し涙,血の涙を流した事か。己の意志の弱さを呪った事か。必死の祈りに神仏も哀れに思ったのか、食欲への未練はまだ少しは有るが、何とか後少しで10年を乗りきれる、乗りきったら、体力の回復を待ち50日の断食水行で修行を終える予定でいる。体はボロボロだが精神は鏡の如く澄んでいる。因みに我が見果てぬ大望は、水と太陽の光のみで生きて行ける体に作り変える事、動物の命も植物の命も奪う事なく生きて行ける体、何と素晴らしい事ではないか。
返信削除オオ、偉大なる神よ、21世紀に入って、秘教の教えの末端を人類に教えようとしていませんか?最たるものは、不食&サンゲージィング、30日以上の断食&サンゲージィングの修行をすれば、凡夫でも、そこそこの超人に成れる、邪まな者が、これを身につければと想うと、身の毛もよだつ、貴方は,神なのか、それともサタンか!霊仙の最後のコメントです。
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